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仏教 宗派

南無阿弥陀仏の効果とは?|念仏だけで極楽浄土に往ける浄土宗

日本人なら南無阿弥陀仏の意味はご存知ですよね?

 

『テレビや漫画で見たことがある』

『聞いたことはあるが、意味はわからない』

 

誰もが一度は聞いたことのある『南無阿弥陀仏』ですが、その意味をちゃんと理解している方は多くありません。しかし、その本当の意味はとても簡単です。

 

『南無阿弥陀仏』=『阿弥陀様!おすがりします!』という意味です。

 

さらに言ってしまうと、『南無阿弥陀仏』と唱えるだけで、極楽浄土が約束されるのです。こんな最強の念仏があっていいのでしょうか?

 

いいんです!

 

なにやら怪しい感じがプンプンしますが、科学的な観点からもその根拠を解説していきます。今回は、南無阿弥陀仏の真相を解明しましょう。

南無阿弥陀仏といえば浄土宗

南無阿弥陀仏と唱えれれば、極楽浄土に往ける

 

こう断言するのは日本仏教の浄土宗です。日本仏教には主に13の宗派があり、そのうちの一つです。

 

日本仏教の宗派はコチラ▼

 

浄土宗は、1,175年に法然が開宗した宗派です。

法然は元は武家の生まれです。しかし、9歳の時に父を亡くします。父の最後の言葉に従い、出家するのでした。

13歳になった法然は比叡山に登り、修行を開始します。しかし、仏教の真髄よりも政治のことばかりに夢中な先輩僧侶たちに疑問を持ち、わずか5年で下山します。

しかし、その後も修行は続けていました。そして25年が経った時、中国の龍樹という僧侶の『念仏』を知ります。

長らく厳しい修行をしても悟りを開けなかった法然は、ただひたすら南無阿弥陀仏と唱える念仏こそ、民衆を救う方法だと考えるようになったのです。

阿弥陀仏はある願いを持っています。それを阿弥陀仏の本願といいます。

簡単にいいますと『おれ、悟れそうなんだけど、後でいいや。俺の事を信じてくれる人たちを浄土に導いた後に悟るから。』という、男気溢れる願いです。

 

そして、1,175年に満を持して浄土宗を開宗したのです。

 

実はこれ、とても画期的な変革でした。仏教では厳しい修行をしないと悟りは開けないとされており、一般の民衆が実践することは不可能だったのです。しかし法然は言いました。

 

『南・無・阿・弥・陀・仏』この6文字さえ唱えればOK

 

これだけで大衆も極楽浄土へのチケットが手に入るのですから、広まるのも時間の問題だったわけです。しかも、これを説いているのは比叡山卒業の法然様なんですから。

浄土真宗は阿弥陀様を心で想う

浄土宗と似た宗派に浄土真宗があります。似ているのは当然で、浄土真宗の開祖である親鸞は法然の弟子です。なので、浄土真宗の本尊も阿弥陀如来です。

主な違いとしては言葉ではなく、心で想う点です。阿弥陀仏のチカラを信じるという点では相違ありません。

 

浄土宗と浄土真宗の詳しい違いはコチラ▼

 

南無阿弥陀仏の効果と科学的根拠

実は、阿弥陀仏は架空の人物です。つまり、阿弥陀仏の本願も作り話となります。・・・急に怪しい雰囲気になってきましたね。法然はオカルト教祖だったのでしょうか?

 

実はそうではありません。

 

念仏とは同じ言葉をひたすら繰り返すことです。これって何かと似ていませんか?

 

  • 人は緊張すると深呼吸を繰り返します
  • 本番前は通路を行ったり来たりと繰り返します
  • 貧乏ゆすりで足をゆすります
  • スポーツ選手はガムを噛み続けます

 

心の安静を取り戻したいとき、人は同じ行動を繰り返すのです。これと同じで、念仏には心を落ち着ける効果があります。

 

・・・色々なところから反論が聞こえてきそうです(^^;)

 

しかし、それが全てです。途中経過や論理的な説明はむしろ邪魔なのです。

心を落ち着けたい人に向かって『大丈夫』『君ならできる』などと励ましたところで、落ち着くわけがありません。

逆に『この世に実態のあるものはなく、全てはあなたの思い込みで・・・』などと、仏教の本質を語ったところで無意味です。

 

仏教の本質を知りたい方はコチラ▼

 

それならひたすら『南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏』、よくわからないけど『南無阿弥陀仏』『南無阿弥陀仏』。

このように念仏を繰り返したほうが、雑念を考える隙がなくなり、よっぽど心が落ち着くのです。

まとめ

以上、南無阿弥陀仏の効果とは?|念仏だけで極楽浄土に往ける浄土宗の解説でした!

浄土宗は、南無阿弥陀仏と唱えれば誰でも極楽浄土に行けるという宗派です。しかし、阿弥陀仏も、その本願もすべては作り話。だからといって、念仏に効果がないわけではないのです。

念仏は心を落ち着ける言葉。仏教では過程は関係ありません。結果が大切なのです。例え作り話だろうと、最終的に悟りさえ開いてくれればよいのです。

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