あなたは葬式仏教という言葉をご存知ですか?
『仏教は葬式のためにあるんじゃないの?』
『お葬式といったら仏教でしょ。』
日本においては、この考え方が一般的です。しかし、世界的にみると仏教は死に特化したものではありません。
本来は『生老病死』の苦労を乗り越えるための哲学として、日本に伝わってきました。
生老病死の中の『死』に特化したのものが、葬式仏教と呼ばれ日本の仏教としては一般的です。これは、現在の日本仏教に対して、批判的な言葉として使われることが多いです。
では、どうして日本は葬式仏教になってしまったのでしょうか?今回はその原因を解説していきます。
本来の仏教は哲学だった
仏教は紀元前500年ごろ、インドの釈迦によって広められました。釈迦は人々を生老病死の苦しみから救うために、教えを説きます。
その真髄は『無我』です。
この世には何もない。我すら無いとしたのです。つまり、苦しいと思っている自分は、あなたがそう思い込んでるだけですよという事です。
しかし、言葉の意味が分かっても、体験を伴わないと本当の理解ができないのが仏教です。
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何はともあれ、インドで釈迦が広めた仏教は『死』に特化したものではなく、生老病死全ての苦痛から人々を救うための哲学でした。
日本は葬式仏教
ところが、日本の仏教はどうでしょう。
- 生きることに悩んだ時、お寺に行きますか?
- 年老いて困った時、お寺に行きますか?
- 病気で大変な時、お寺に行きますか?
お寺に行くのは人が死んだとき、死んだ人の法要、死んだ人の墓参り・・・日本の仏教には『死』がまとわりついているのです。
これには、ある制度が関係しています。
檀家制度が原因で葬式仏教になった
日本に仏教が伝来してきたのは飛鳥時代の頃です。当時の宗派は今でも残っており、法相宗といいます。
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法相宗は、仏教哲学の真髄を受け継いでいました。問題だったのは平安時代に持ち込まれた天台宗と真言宗です。
密教と呼ばれ、秘密の呪法を駆使することで魔訶不思議なご利益があるとされたのです。
これが当時の貴族に大ヒット!
天台宗と真言宗の2大宗派は、貴族ウケを良くするために、どんどん怪しい呪術の方に進んでいくのでした。
そして鎌倉時代。こんなのは本来の仏教じゃない!といって、ニューフェイスたちが頭角を現してくるのです。
- 改革派:浄土宗、浄土真宗
- 保守派:臨済宗、曹洞宗
これらの宗派は国家や貴族のためではなく、苦しんでいる人たちのために作られた組織です。保守派は釈迦の哲学に立ち戻ろうとした宗派で、中国留学をして禅を日本に持ち帰ります。
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一方、改革派は過激な事もしており、国家権力と対立しました。その一例は、一向一揆です。浄土宗の信者たちが、仏の国家樹立を宣言しました。そして、全国各地でテロ事件を引き起こすようになったのです。
最後は時の武将『織田信長』によって解体されますが、死をも恐れぬその集団の脅威は権力者たちを震え上がらせました。
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時は流れ、江戸時代。徳川幕府は僧侶たちを管理下に置くため、2つの制度を作ります。
- 宗教布教・新規開宗の禁止
- 檀家制度
布教を禁止されたら宗教は終わりです。信者を増やすことができません。しかし、檀家制度を作ることで信者の確保を保証したのです。
『もう布教活動しないでね。その代わり、日本人は全員どこかの寺に所属させるからさ。』
なんと巧妙な制度でしょうか。これは国外からの新興宗教の侵入も防ぐことができますし、檀家制度を利用して日本人の戸籍管理を寺に丸投げすることもできました。
寺は維持費を檀家の葬儀で稼ぎ、檀家は出産や死亡などの手続きを寺に頼む。本来は幕府がやるべきことを、一切のお金、労力を使わずにやってのけたのでした。
しかし、この制度が日本仏教から本来の仏教を奪っていきます。僧侶は、哲学など考える必要はなくなったのです。
ただ、葬式・法事を滞りなく行ってさえいれば、食いっぱぐれることはないのですから。
日本仏教は『死』に特化していき、葬式仏教と呼ばれるようになりました。
まとめ
以上、葬式仏教はいつから?|仏教哲学の崩壊は徳川家康が原因だったの解説でした!
本来の仏教は生老病死の苦から、人々を救うための哲学でした。ところが、徳川幕府の巧妙な制度によって、骨抜きにされてしまいます。
今では大衆から尊敬される機会も減り、意味もよく分からず葬式・法要をするためだけに足を運ぶ場所になってしまったのです。
今のお坊さんには、ぜひ本来の仏教を布教してほしいですね。
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