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仏教 教え

ヤージュニャヴァルキヤのアートマン|バラモン哲学を解説

あなたはヤージュニャヴァルキヤのアートマンを理解できますか?

 

『難しすぎて何を言ってるか分からない』

『自分は~じゃないってことでしょ?』

 

ヤージュニャヴァルキヤのアートマンは、非常に難解な哲学です。『私は~に非ずとしか言えない』で有名なフレーズですが、~に非ずとはどういうことなのでしょうか?

 

一言でいうと、認識されることはないという事です。

 

今の世の中、辛いことがたくさんありますよね。悲しいことがありましたか?辛いことがありましたか?普通の人は、こう感じます・・・

 

『私は悲しい』

『私は辛い』

 

しかし、ヤージュニャヴァルキヤのアートマンの考えによれば、そんなものは存在しようがないのです。彼の哲学によると、こうなります・・・

 

『私は悲しいとは言えない』

『私は辛いとは言えない』

 

この哲学を理解すると、人生がラクになりそうですね。それでは、ヤージュニャヴァルキヤのアートマンについて、歴史の流れから解説します。

聖典ヴェーダによる司祭(バラモン)の誕生

まずは、ヤージュニャヴァルキヤがどのようにしてアートマンという考えに至ったかを説明します。

 

簡単にいうと、暇だったんです。

 

古代の世界では支配と制圧が繰り返されており、現在のインド周辺も同様でした。紀元前1,500年ごろ、インドは西から攻めてきたアーリア人によって制圧されます。

アーリア人には神様信仰もあり、自然物には神が宿っているという神話がいくつもできあがりました。

 

それらをまとめたものが聖典ヴェーダです。

 

今の日本でもそうですが、自然の驚異というのは昔から同じだったんですね。そして神様がいるとなれば、それらを鎮める儀式が必要です。儀式をするには、それに精通した人が必要です。

 

それがバラモン(司祭)です。

バラモンは神ブラフマンとなった

バラモンは宗教的な地位を手に入れるため、自分たちはブラフマンという神の一部だと言い出します。民衆はこれを信じ、バラモン教という階級社会を中心にした宗教が確立されていきました。

こうなれば、バラモンは自由人です。特に仕事をしなくても、下層階級の人たちが一生懸命働いてくれます。

 

・・・仕事がないと、暇ですよね。

 

人間が暇になると、何をするか?考え事をするようになります。

 

  • この木はどうしてここに生えているのか?
  • こに川はどうしてここに流れているのか?
  • 人はどうして死ぬのか?・・・etc

 

このように、色々な哲学を考え始めました。その中でも、インドは『自分』についての考えを探求するのでした。

ヴェーダからウパニシャッド哲学が誕生

自分を追求した哲学は、ヴェーダの中のウパニシャッド(奥義書)になりました。

アートマンとは?|ヤージュニャヴァルキヤの梵我一如(ぼんがいちにょ)

ヤージュニャヴァルキヤの哲学といえば『梵我一如』です。簡単にいうと以下の公式のことです。

 

ブラフマン(梵)=アートマン(我)

 

この公式を元に『アートマンとブラフマンが同じと悟れば、苦悩なんてなくなるよ。』と言い切りました。ブラフマンは世界の原理、アートマンは個人の原理の事です。

当時のインドはバラモンをトップとした階級社会です。そんな世界観の中では、下層階級の人は辛い思いをしたことでしょう。

しかし、梵我一如を理解すれば、そんな苦痛なんて無くなるよということです。では、アートマンとは何でしょうか?

 

アートマンとは認識するものです。

 

アートマンは認識するものだから、認識されることはあり得ないのです。・・・話がややこしくなってきましたね。

認識ってどういうことだよ!って感じですか?実はそんなに難しく考える必要はありません。認識とは、普段あなたが見たり感じたりしているそのものです。

 

  • 寒いと感じたり
  • 熱いと感じたり
  • 美味しいと感じたり
  • まずいと感じたり
  • 綺麗と感じたり
  • 汚いと感じたり・・・etc

 

つまり、アートマン(私)とは、何かを感じることをいいます。どうしてこんなにまどろっこしくなったかというと、哲学とはそういうものだからです。

あらゆる欠点を見つけ出して、唯一絶対的な真理を探すのが哲学です。

 

その結果、アートマン(私)=認識するものという表現しかできなくなってしまったのです。

 

では、あなたが存在する絶対的な条件は何でしょうか?

 

肩書?

違いますね。会社や組織がつぶれても、あなたは存在します。

 

体?

違いますね。腕や足を失っても、あなたは存在します。

 

脳?

これはチョット判断が難しいです。しかし、答えとしてはあなたが存在する絶対条件ではありません。

 

例えば、あなたの細胞から全く同じ遺伝子を持ったクローン人間を作ったとします。この世にはあなたと同じ脳が2個存在した状態です。

残念なことにあなたは死んで、あなたの脳はなくなりました。しかし、全く同じクローン人間の脳があります。これで安心!あなたの存在は保証されました・・・

 

そんなわけないですよね。

 

あなたは死んで、生きているのはクローンです。あなたが何かを感じたりすること、すなわち認識することはありません。

そこにはあなたと全く同じ脳があるのに、あなたは存在していない。つまり、脳があってもあなたが存在するとは言いきれません。

このように突き詰めていくと、どうらや何かを感じたり、認識すること自体があなたの存在を保証するものだと言えそうです。

 

ゆえに、アートマン(私)=認識するものなのです。

 

そして、アートマンは認識するものなので、認識されることはありません。

 

あなたが目の前の景色を認識することは可能ですが、そのあなたを認識することは不可能なのです!

 

不可能ですが、それを証明するためにあえてAさんがあなたを認識したとします。すると、今度はAさんの存在を確定させるために、Aさんを認識するBさんが必要になります。

あなたを認識するには無限の認識が必要になり、終わりがありません。終わりがないという事は、絶対的な真理ではないという事です。

 

これを無限後退や無限遡行といいます。

 

ここまで解説して、やっと冒頭のセリフに戻れます。

 

『私は~に非ずとしか言えない』

 

つまり、アートマン(私)は認識するものだから、自分または他人から認識されることはないのです。

 

  • 私は辛いと認識されることは不可能
  • 私は悲しいと認識されることは不可能

 

だから、梵我一如という真理を理解すると、全ての苦痛から解放されるのです。

まとめ|アートマンは仏教の原点

以上、ヤージュニャヴァルキヤのアートマン|初心者にもわかりやすく解説でした!

非常に難解なヤージュニャヴァルキヤのアートマンを、噛み砕いて説明してみました。ポイントはアートマンが何か?を理解することです。

アートマンは認識するものなので、無限後退という理論がある限り、認識されることは不可能です。

認識されれないという事は、あなたは悲しいとは言えないし、あなたは辛いとは言えないといったように逆説的なとらえ方しかできません。

ゆえに、あなたが辛いというのは嘘っぱちです。ただひとつ、大きな問題が残ります。

 

『・・・わかったけど、辛いんです。』

 

まさにそこです。現実には苦が満ち溢れています。これは、この梵我一如を正しく理解していないことが原因です。

といっても、この真理は言葉では100%理解することができないという問題点があります。体験をもってして、初めて100%理解できるのです。

古代インドからあったこの真理を元にして、仏教という形で布教したのが釈迦です。

以上、日本仏教にも通じる根本的な真理の解説でした。

 

仏教の開祖である釈迦は、アートマンを元にして悟りを開きました▼

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