あなたは、日本仏教の元になった釈迦をご存知ですか?
『インドのお坊さんでしょ?』
『物が壊れた時、オシャカっていうよね』
世界三大宗教の一つとされている仏教。その開祖が釈迦です。では、釈迦はどこに生まれ、どのように育ち、どうやって仏教を広めたのでしょうか?
仏教が生活に溶け込んでいる日本人なら、その一遍だけでも知っておきたいですね。今回は、釈迦が誕生してから入滅するまでの生涯について解説していきます。
釈迦は王子として王族に生まれた
現在のネパールとインドの国境付近に、シャカ族という小国家がありまりました。釈迦はその王国の王子として生まれます。紀元前500年ごろのことでした。
その生まれ方からしてトリッキーで、これから開かれる才能の鱗片を見ることができます。
なんと、母の脇の下から生まれてきたのです。
さらに生まれてすぐに立ち上がり、7歩も自力歩行。四方を見渡してから、右手で天、左手で地を指さしました。そして一言・・・
『天上天下唯我独尊(私が世界で最も尊い)』と言い放ったのです。
なんと強気な発言でしょうか。範馬勇次郎や羅王を思い起こさせるような言葉です。
本来の意味は『1つしかないこの命、お互いに尊重しましょう』ということです。
四門出遊|老い・病気・死・僧侶に出会い出家
釈迦が出家を決意した有名なエピソードがあります。
四門出遊です。
小国の国家とはいえ、釈迦は王族の人間です。召使もたくさんおり、父である王からは帝王学を叩きこまれます。
そんな釈迦の行く先は、召使たちが常に綺麗にしており、醜いものを目にすることは一切なかったのです。ある日、釈迦は城の外に遊びに出かけようとしました。
東門に着くと、門の向こうには髪が真っ白で、歯が抜け落ちた、シワだらけの老人がいたのでした。釈迦は召使に尋ねます。
- 釈迦『あの人は一体どうしたんだ?』
- 召使『あれは老人です。』
- 釈迦『あの人だけが老人なのか?』
- 召使『人は誰でも老人になります。』
釈迦は衝撃を受けて、東門から出るのをやめました。続いて南門に向かいます。すると、門の向こうには汚物にまみれ、横たわっている病人がいたのでした。釈迦は召使に尋ねます。
- 釈迦『あの人は一体どうしたんだ?』
- 召使『あれは病人です。』
- 釈迦『あの人だけが病人なのか?』
- 召使『人が病気にかかれば、あのようになります。』
釈迦は怖くなって、南門から出るのをやめました。続いて西門に向かいます。すると、門の向こうに泣きながら死んだ家族に追いすがる人がいたのでした。釈迦は召使に尋ねます。
- 釈迦『あれはどうしたんだ?』
- 召使『誰か死んだのでしょう。』
- 釈迦『あの人だけが死ぬのか?』
- 召使『人は誰でも死にます。』
釈迦は悲しみに包まれ、西門から出るのをやめました。最後に北門に向かいます。すると、門の向こうに托鉢を持った僧がいました。釈迦は召使に尋ねます。
- 釈迦『あの人は誰だ?』
- 召使『あれは修行僧です。老病死を乗り越え、究極の真理を得ようとしています。』
- 釈迦『なんと・・・苦しみから解放される道があったのか。それなら私も修行僧になろう。』
こうして釈迦は、老病死から解放されるため厳しい修行の道を選ぶのでした。妻子もいましたが、29歳の時に出家します。
苦行に疑問|中道という考えにたどり着く
当時のインドでは、悟りの度合いとして『苦行』を基準にしていました。
悟りとは苦しみや悲しみは一切ない状態です。それなら、どれだけ苦しい思いをしても耐えられるはず。そんな流行があり、釈迦も苦行を行います。
- 断食法:1日1粒の胡麻を食べるだけ
- 無息禅:ひたすら息を止める
こんな苦行を6年ほど続けた35歳の時、釈迦は気が付きます。
『・・・全く悟れないじゃん!』
ある意味、悟りましたね(^^;)実は、苦行で悟りを開くことはできないのです。むしろ悟りの障害になります。
当時のインドでは、ヤージュニャヴァルキヤの考えが浸透していました。彼の理屈によれば『人は傷つくことはできない』という理論が成立します。
その理論を理解した人こそ、悟りの境地に往けると考えられました。
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つまり、どれだけ苦しい思いをしても、悟りを開いているなら大丈夫なはずなのです。
そこで引き合いに出されたのが『苦行』でした。キツイ苦行に耐えれば耐えるだけ、悟りに近いと考えられていました。なので、みんなが自虐的な修行をしていたのです。
俺は3日も食べてないぞ!『おおー!』
いや、俺は5日目だ!『おおおー!』
まさに、苦行バトルロワイアル状態でした。この間違いにいち早く気が付いたのが釈迦だったのです。釈迦は苦行をやめた後、菩提樹の下に座ります。そして悟りを開くのでした。
釈迦は王子として快楽を与えられながら育ちました。しかし、それでも苦からは逃れられず出家します。今度は苦に身を置き修行しました。しかし、それでも悟りを開くことはできませんでした。
そこで、快楽と苦の間『中道』に悟りがあると考えたのです。
初転法輪|初めての説法
釈迦は悟りを理解しましたが、他の人に理解させる難しさもよくわかっていました。一度は布教を諦めますが、思い直して伝達していくことにしたのです。
その最初の説法相手が、かつて一緒に苦行をしていた5人の仲間たちでした。彼らは釈迦が苦行から逃げ出したと思っていましたが、悟りを得た釈迦の姿に威光を認めて弟子になるのでした。
この時、初めて行った説法を初転法輪といいます。釈迦が説いたのは四諦と八正道でした。
四諦
四諦は以下4つの真理です。
- 苦諦:人生は苦である
- 集諦:苦の原因は煩悩
- 滅諦:煩悩がなければ苦もない
- 道諦:苦のない道は八正道である
八正道
八正道は悟りを開くための具体的な方法です。
- 正見:正しい見方
- 正思惟:正しい考え方
- 正語:正しい言葉づかい
- 正業:正しい行い
- 正命:正しい生活
- 正精進:正しい努力
- 正念:正しい集中力
- 正定:正しい精神統一
簡単に言えば、ちゃんと生きようねってことです。
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入滅|35歳で悟りを開き、80歳で死亡
仏教では、釈迦の死を入滅といいます。釈迦は田舎町クシナガラの沙羅双樹のもとで、頭を北にし、右半身を下にして入滅したといわれています。これは、北枕のゆえんにもなっています。
食中毒で入滅したとの説もあります。
まとめ
以上、釈迦の生涯|誕生してから入滅するまでの一生について解説の紹介でした!
釈迦の生涯を知ると、本当の仏教がわかります。仏教徒は人々を老病死から救うための哲学なのです。
インドで発祥した仏教は中国に伝わり、日本にも伝来していきます。鎌倉時代の仏教(臨済宗や曹洞宗)はまさに哲学でした。
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