あなたは般若心経をご存知ですか?
『肝試しでよく聞く怖いお経でしょ?』
『何言ってるか意味の分からないお経』
そうですよね。日本におけるお経のイメージはそんな感じです。ですが、般若心経は哲学書です。
それも、人々を悟りの境地に導く仏教界最強の経典なのです。
そんな凄いお経なのに、なぜ意味が分からないのか?それは単純な話で、日本語ではないからです。原典はサンスクリット語で、それを漢訳したものが普段目にする般若心経です。
では日本語訳にすれば、その素晴らしさは分かるのか?
否!
哲学はそれほど簡単に理解できるものではありません。さらに、般若心経に記されている内容は『空』の哲学です。これほど説明しにくい哲学はありません。
しかし、書かれている内容は素晴らしい!これを理解すれば、仏教の本質がわかりますし、老病死のあらゆる苦から解放されます。だったら、誰にでもわかるように解説してやろうじゃありませんか!
今回は、こんな意気込みで般若心経の超訳をしてみます。
完全な訳ではない部分も出てくるでしょうが、般若心経が何か?は理解していただけるはずです。『方便』ということでご容赦ください。
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般若心経は宗派を超えたキングオブ経典
日本には主に13の仏教宗派があります。意外にも、般若心経はどの宗派の経典にもなっていません。しかし、宗派を超えて読まれるお経、つまりお経界のキングなのです。以下、全文です。
般若心経
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄
舍利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色
受想行識 亦復如是 舍利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減
是故空中 無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
無眼界 乃至 無意識界
無無明 亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽
無苦集滅道 無智亦無得
以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙
無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃
三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提
故知般若波羅蜜多 是大神呪
是大明呪
是無上呪
是無等等呪
能除一切苦
真実不虚
故説般若波羅蜜多呪
即説呪曰 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
頭が痛くなりそうですか?この後、詳しく解説していきます。
般若心経を作ったのは三蔵法師?
原典はサンスクリット語で書かれています。もうちょっとストーリーも多いです。原典を漢訳にしたのは、あの有名な三蔵法師(玄奘三蔵)です。
『空』の哲学が262文字に凝縮されている
般若心経の正式名称は『摩訶般若波羅蜜多心経』です。実は元となったのは大般若経といい、なんと全600巻もあるのです。
大般若経を読むのは事実上不可能ですが、それをたった262文字に凝縮した般若心経なら理解しやすいですね。
般若心経の超訳
それでは誰にでもわかりやすく、般若心経を訳していきます。太文字は簡単な直訳です。そのあとに、さらにわかりやすい本当の意味を解説します。
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄
観自在菩薩は智慧の修行をしていた時、存在は実態が無いものだと悟り、苦痛から解放された。
いきなりきましたね。
菩薩さんが智慧の修行で悟りを開いたようです。
ここでいう観自在菩薩は、仏様と捉えてもらえればOKです。
仏様は『智慧の修行』によって悟りを開き、この世には何もないという事を理解したんですね。その結果、なんと苦痛から解放されたのです。
当たり前といえば当たり前の話です。何もないんですから。苦痛すらありません。
舍利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色
シャーリプトラよ、色はない、ないのも色だよ。
シャーリプトラって誰?
誰でもいいんですけど、一応説明しておくと釈迦の弟子です。これで、般若心経の流れが見えてきましたね。
般若心経は仏様が弟子のシャーリプトラに語り掛けるスタイルなんです。
『ワシ、悟ったんだけど。お前、話聞く?』的なノリのお経というわけです。役者はどうでもいいので、仏様が弟子に語ってると思ってください。
で、般若心経の有名なフレーズが『色不異空 空不異色 色即是空 空即是色』です。色=目で見たりできる物質、空=実態がないことを意味します。数学の証明風に言うと・・・
『xはyと異ならない、yはxと異ならない かつ xはy yはx』
恐ろしく回りくどい言い方ですね。
『x=y』
これでOK!つまり『色=空』、ということは『物質=実態がない』という事です。
さぁ、ここからです。仏様の無い無い攻撃が始まりますよ。実は般若心経で大切なのはここからです。
受想行識 亦復如是 舍利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減
感覚、意識、意思、知識もないんだ。シャーリプトラよ、この世の存在は全部ないんだ。生まれることもないし、死ぬこともない。汚れることもないし、綺麗になることもない。増えも減りもしない。
今までは『空だよ』って言ってたのが、突然『無だよ』と変化します。
つまり、『実態がないんだから、存在もないんだ』と一歩真理に近づいたわです。
それにしても激しい無い無い攻撃・・・私たちの周りの物、心の中のモノは何も無いじゃないですか。
是故空中 無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
だから、色はないし、感じることもないし、想うこともないし、判断することもない。目、耳、鼻、舌、体、意識もない。それらが感知する色、音、匂い、味、感触、意識の対象もない。
物がないという事は、それを感じるための器官の存在も否定することになります。
良い匂いを嗅いでいたつもりが『そんなもんないよ』といわれたわけです。そしたら、鼻の存在ってありませんよね?
匂いを嗅げない鼻は、我々のいうところの鼻ではないのです。
無眼界 乃至 無意識界
目に見える世界、意識の中の世界、それらは全てないのだ。
言い切りましたね・・・
私たちが住んでいる世界で、実態があると思っていたものは全て否定されました。
無無明 亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽
迷いもないし、迷いが尽きることもない。老いと死もないし、老いと死が無くなることもない。
これ、まずいんじゃないですかね?
『迷いが尽きることはない』『老いと死が無くなることもない』・・・つまり、悟りを開くことすら否定してます。だって、悟りを開けば迷いは無くなりますし、老病死の苦しみからも解放されます。
仏教最強の経典が、悟り全面否定!
あぁ、もう何だか、頭がクラクラしてきましたか?
無苦集滅道 無智亦無得
人生は苦という真理はない、苦の原因は煩悩という真理はない、煩悩をなくせば苦がなくなるという真理はない、煩悩をなくす修行があるという真理はない。知ることもなければ、得ることもない。元々、得るという事がない。
ぐはぁ!・・・ここまでやるか。
ここに書かれていることは、釈迦が基本中の基本としていた『四諦』『八正道』の全否定です。
容赦ないです。悟りだろうと、仏教だろうと、釈迦だろうと関係ありません。全面否定!おそるべし般若心経・・・
以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙
菩薩は智慧の修行をしているから、心を覆うものがない。
なにぃぃぃぃーっ!!!!!
ここまで何もないと言っておきながら、『智慧の修行』という言葉が出てきました。智慧の修行だけはあるんかい・・・確かにね、冒頭にも出てきた言葉です。
どうやら、真理を悟るためには『智慧の修行』が必要なようです。
無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃
覆うものがないから、恐怖もない。認識の世界から離れて、安らぎの境地に達している。
『智慧の修行』をすれば、恐怖はなく、物質や心の内を認識することもなく、安らぎに包まれるとのこと。
三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提
過去、現在、未来の仏たちは、智慧の修行によって悟りに達するのだ。
過去から未来まで、全ての仏様は『智慧の修行』で悟りに達したとのこと。
(前半で、悟りはないって否定してたくせに。)
故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪
ゆえに、智慧の修行の呪文、明らかな・超えるものなき・並ぶものなき呪文を知るべきだ。
え?なに?呪文?突然、呪文ですか?
能除一切苦 真実不虚
その呪文は全ての苦しみを取り除き、真実であり、偽りのないものだ。
マジ?その呪文を唱えれば悟れるの?
故説般若波羅蜜多呪
では、その呪文を教えよう。
ぜひ、教えてください!
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・・・・と、最後の方は怪しい雰囲気になってきました。でも安心してください。ちゃんと、本当の意味を解説します。
まずは『智慧の修行』ですね。そして、なぜ呪文が必要なのか。そもそも、智慧とは何のことを言っているのでしょうか?
『智慧の修行』=『無分別智を理解する』です。
・・・今度は無分別智がわかりませんね。では分別智はどうですか?漢字から何となく意味は分かるかと思います。
分別智は、区分を増やしながら、知識を増やしていくことです。
生まれたばかりの赤ちゃんは、何もわかりませんよね?目の前に哺乳瓶があって、中にミルクが入っていても、それが食料だとはわかりません。
しかし、成長とともにビン、吸い口、キャップ、お湯、粉、、このように物質を区分するための言葉を覚えながら『ミルクが入った哺乳瓶』という認識にたどり着きます。
分別智は言葉を使って区切り(名前)をつける学習方法です。
それに『無』を付けたという事は・・・無分別智は言葉や区切りを全く使わない学習方法です。どうやってやったらいいのか?また、赤ちゃんの話に戻ります。
先ほど、成長とともにビン、吸い口、キャプ、、、区分して認識が増えると書きました。では、最初の『ビン』はどのようにして認識したのでしょう?
赤ちゃんは何もわかりません。『ビン』と教えてもらったとしても、父と母では声の高さも違いますし、大きさも違う。アクセントだって微妙に違います。
しかし、どこかで『認識』しなければ、物質を区分することは一生できません。でも、みんなどこかで言葉を使って物質を覚えていきます。
これが、無分別智で学習する方法です。
言葉を使わず、区分もなく、何もない状態で物事を理解する方法、無分別智を理解する方法、すなわち智慧の修行です。やっと智慧の修行の話に戻ってこれました。
智慧の修行とは言葉による区分を無くし、赤ちゃんのように無分別智で真理を学習することだったのです。
だから般若心境では何もないと言い続けるのです。区分(分別)をなくして、無分別智にならなければ、悟れないからです。しかし、最後に最強の区分が修行僧を待ち受けているのです。それは・・・
『無分別智を理解した自分』です。
これだけは無いとは言えない。絶対に破壊することのできない最強の区分。しかし、これを壊さなければ悟りは開けない。
もう最後は勢い、誰かの一押し、理屈では説明できない信念・・・何か助けがなければ自分という区分は破壊できないのです。
そこで般若心境は呪文を使います。これは呪文じゃなくてもよかったんです。ノリの良い言葉だったら何でもいいんです。理屈じゃどうにもならなない、あと一歩のための勢いですから。それが次の呪文です。
即説呪曰 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
往け!往け!彼岸に往け!そこに着けば、それが悟りだ!よっしゃー!
ハッキリ言って大した意味はありません。しかし、これ以上適切な言葉もありません。
まとめ
以上、般若心経の超訳|初心者にもわかるように噛み砕いて解説でした!
いかがでしたでしょうか?可能な限りわかりやすく、カジュアルに解説してみました。もう一度おさらいです。
- 般若心境は、仏様が弟子に悟りの開き方を教える経典です。
- 前半は無い無い攻撃。ひたすら無いといって、この世の全てを否定します。
- 後半は『智慧の修行』です。区分をなくした無分別智にならないと、悟りは開けないといいます。
- 必死の修行で区分をなくしても、絶対に勝てないラスボス『自分という区分』にぶち当たります。
- そんな時は呪文で乗り切ろう!といってしめます。
これであなたも般若心経の神髄を理解することができたはず。
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